自分を愛する勇気──なぜ他者には優しくできるのに、自分だけは傷つけてもいいのか

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今日のテーマは「自分を愛する勇気・自己受容」です。

結論から言いますと、自分を責めるのはやめましょうということが、今回お伝えしたい内容になります。

ここで、ある言葉を引用させてください。

自分を思いやる。私は自らに苦しみを与えるべきではない。なぜなら、他者にも一度として意図して苦しみを与えたことはないのだから。

── マルクス・アウレリウス『自省録』第8巻42

ローマ皇帝であったマルクス・アウレリウスは、優先的に自らを思いやることが大切だと説いています。


なぜ自分だけは傷つけてもいいのか

私たちは、他者を切りつけるようなことって、意図して言わないですよね。言わないのに、なぜ自分自身を切りつけることは言ってもいいとなるのでしょうか。

言われてみたら、そんな感じがありませんか。

「人は傷つけてはいけない」──それはもちろん当然のことです。ですが、なぜ自分自身は傷つけてもいいとなるのでしょうか。

もちろん、自分自身に対して傷つけるという行為は、別に罰せられるわけでもないし、その瞬間は誰かに迷惑をかけるわけでもありません。ただ、広い意味で言えば、迷惑をかけてしまう流れにつながってしまうのですが。

なぜ自分自身は切りつけられることを言ってもいいのだろうか。言われてみたら、確かに「なんでだろう」と思いませんか。


自分を甘やかすことへの抵抗感

自分を傷つけてしまう背景には、「自分を甘やかしていいのか」という疑問があるかもしれません。

人によっては「甘やかすことは良くない」とか「自己愛が強いことはあまり良いことではない」といった情報や、他の方からの指摘を受けて、なかなか自分自身を甘やかしちゃいけないと思っている方もいらっしゃるでしょう。

「自分で自分を愛することって、気持ち悪い行為なのかな」──そういう認識になってしまっている方が、ひょっとしたら聞いている方の中にはいらっしゃるかもしれません。

あなたはいかがでしょうか。


私自身も自分を傷つけてきた

私はどちらかというと、結構自分自身を傷つけてきた側なので、このテーマにはすごく思い入れがあります。

自分を責めてしまうというのは本当に良くなくて、人生面においてかなり損をするというか、自分自身の人生を本当に良くないものにしてしまうことになってしまいます。


受講生からの「くだらない」という相談

私に限らず、こんな話があります。

先日、私はKindle出版の講座やAIの使い方を教えさせていただいているのですが、その中の受講生の一人がジャーナルを書いているんですね。

ジャーナルというのは「書く瞑想」と言われているジャーナリングのことで、単純に日記だと思ってください。興味があれば、ぜひ調べてみていただきたいのですが。

そのジャーナルを書いているけれども「くだらないことしか書いていない」というご連絡をいただいたんですね。

ご相談内容に回答しながら、その中で「くだらないということはやめましょう」「まず、くだらなくないですよ」とお伝えしました。


「くだらない」という言葉の危険性

では、なぜくだらなくないのか。その理由をお話しします。

「くだらない」という言葉を、私たちは自分自身に対して、あるいは他の人に何かを話すときに「いや、これ本当くだらないことなんですけど」と流れるように言ってしまうことってないでしょうか。

自分自身に起きた出来事や、自分自身が学んでいることを話したりするときに「これちょっとさまつなことなんですけど」「これはくだらないことなんですけど」と流れるように言ってしまうことってないでしょうか。

私もひょっとしたら、その癖がどうもあるみたいだと認識しています。ひょっとしたらこれまでの音声の中でも、どこかで流れるように何か言っているかもしれません。


自己評価の器に合わせて行動してしまう

ですが、これはあまり良くありません。

まず、くだらなくないんですよね、基本的には。自分で認識しているならまだ大丈夫なんですけども、そこを認識しないで「くだらない」とか「自分なんて」という言葉を使っていると、その言葉に合うような自分自身になっていってしまいます。

例えば、新しいことに挑戦できなくなってしまうし、何かチャンスが来たときにも、そのチャンスを掴むための小さな行動すらも取れなくなってしまう。そういった行動がどんどん取れなくなっていってしまうんですね。

なぜかというと、普段から自分自身の書いた内容や話した内容に対して「くだらない」という自己評価を自分でしてしまっているからです。

自分自身で自己評価をしてしまうと、その自己評価の器に当てはまるような人間になるように、自分で無意識の中で行動してしまうという流れになってしまうんですよね。

「私はこういう人間です」みたいな形で言ってしまうと、そういう人間になるように行動しないと自己矛盾が起きてしまうので、自分自身で「くだらない」と言ってしまうと、くだらなくない人間になるような行動を、自分で自分に嘘をつかないためにやってしまうということになってしまうわけです。


世界を上手に生きるために

さらっと話していますけどね。どこまで聞いてくださっているのかあれですけども、よろしいですか。

まず、くだらなくないということです。

それを認識した上で、この外の世界を上手に生きるためにわざと言っているのであれば、私はいいと思うんですね。どうしてもそういうことを言わなければ変な空気になってしまうような場面も、きっとあるでしょうから、この世界を生きていれば。

ただ、基本的には自分自身はくだらなくないし、あなたがやっていることも、書いてある内容も、仮にそれが1行とか2行であったとしても、それは素晴らしいことです。


1行でも2行でも素晴らしい理由

なぜなら、しっかりと自分自身を良くしようと取り組んでいるからですね。

それは誰に認めてもらうとか、誰に褒めてもらうものでもなく、あなたが自分の理想の人生の方向性を叶えるために必要なことだと思って取り組んでいることだから、ものすごくそれは素敵なことだし、素晴らしいことなんですね。


他者比較という罠

そこで「他者比較」という要素が入ってしまうと、例えば1行とか2行しか書いてないのを目の当たりにして、言葉が出ない自分に対して、言葉が出なかった自分を自分の中で目の当たりにして、そこで「ジャーナリング、他の人はどういうふうに書いてあるのかな」と考えてしまう。

1行しか、2行しか書かない自分はすごくくだらないのではないのかな、意味がないんじゃないのかな、スキルがないんじゃないのかな──そういうふうにどんどん苦の妄想がスタートしてしまうことがあったりすると思うんですけども。

それはですね、単純にまだ慣れていない、つまりジャーナリングを書くことや言葉にすることに慣れていないから起きる現象なんです。


不安は全部妄想

そもそもその不安というのは、全部妄想なので、そんなことないんですね。

そもそも、自分の今瞬間の考えとか思考を言葉にすることというのは、練習したり慣れていないとなかなかできないと思うんですよ。パッと言葉で出てこないですよね。

ちなみに私も、話しながら自分がバーッと頭の中を巡っているものを、いかに上手に伝えようか──あまり上手に伝えようと意識しても良くないんですけども──今も噛んでるなとか思いながら、結構大丈夫かなと思いながらも話しているんですけども。

そういうふうに、こういった発信活動を長年やってきている私の場合ですね、まだ伸びしろがあるので、多分もっとパブリックスピーキングを練習しなければいけないのかもしれません。


伸びしろがあるという捉え方

そういうふうに、練習すれば伸びしろがあるというふうに捉えることもできるわけですよね。

なので、仮に今、自分が思っていることを言語化できない、ジャーナリングで日常の出来事を書こうと思っても1行とか2行しか書けない、そんな自分に嫌気がさすと思っても、大丈夫です。

それは慣れていないだけ。そして、知識というか、感情とか言葉を言語化することに慣れていないだけなので、安心してください。


表現方法を知らないだけ

では、どうすればいいのかというと、いろんな情報に触れてください。できれば本を読んでください。

このポッドキャストの音声を聞いていただくというのも一つの練習方法になるので、いいんですけども、表現方法を知らないから出てこないだけなんですね。

なので、いろんな言葉に触れることが大事です。本とかをぜひ読んでいただければと思います。何でもいいです。推理小説でも、小説でも、アクション小説でも、別にビジネスの実用書でも何でもいいので、言葉に触れるということですね。

そしていろんな言葉という情報とか単語に触れて、表現方法を自分の頭の中に入れていく。それをやっていけば大丈夫ですよ。よろしいですか。

なので、単純に知っていけば、知識とかそういったものを入れていけば、自然とその表現方法が埋まっていったりします。そこは安心していただければと思います。


やめてしまうことが一番よくない

何よりよろしくないのは、「自分はダメなんだ」と思ってそこでやめてしまうことですね。

特にジャーナリングというのは、自分自身をしっかりと客観視するためにとても有効な手段ですので、実際に成功者たちもやっている素晴らしい習慣の一つだと私は学んでいます。実際、自分でやってもすごくいい習慣だと思っています。

ぜひ、それはあなただけの財産にもなりますから、そのまま継続していただければと思います。もしくは、これから今ジャーナリングの話を聞いて「そういうのがあるんだ」と思った方は、ぜひ始めてみていただいてはいかがでしょうか。


公平さとは何か

今日のテーマである「自分を愛する勇気・自己受容」に戻るんですけども、ストア哲学者の方々によると、公平さとは、自分のことでも他者に対してと同じように許していいということです。

自分のことでも、他の方に対してと同じように「いいよ、それ大丈夫だ」と許してあげて、そして「もうちょっと辛抱すれば、ひょっとしたら求めている結果が手に入るかもしれないよ」と辛抱強さを発揮する余裕を持つことだということです。

公平さというのは、つまり他者に優しくしたり、他者に許しを与えるように、自分自身に対しても優しさや許しを与えること、優しさを与える余裕を持つことが公平さだと説いているんですね。

よろしいですか。つまり、人に優しくして、自分に対しては自分を攻めまくるみたいなことはやってはいけないということです。


甘やかすとは違う

もちろん、甘やかすとは違いますけどね。

やるべきことを、例えば友達との約束で遅刻して、「それはそういう人間だから自分を許さないとね」とか、そういうことではないと私は思っています。

本来叶えたい目標があるのに、そのためにやるべきことをしなければいけないのにやれなかったり、人様に迷惑をかけてしまったり、そういったことはしっかりと責める必要はないですけども、次からちゃんと反省して、次からやらないように気をつけようと自分を叱ってあげる必要はあると思うんですけども。

ただ、それは基本的にわざとじゃないはずなので、「それはそういうこともあるよね。次から絶対にしないようにしよう。なんでそういったことが起こったの」と自己改善をする。自己改善をするためにしっかりと自分を許してあげるということが大事だと私は思います。


辛辣な意見を書き出すワーク

よろしいですか。ここで1つワークをやってみていただきたいんですね。

あなたが常々、自分自身に対して心の中で反応として抱いて浮かんでしまう、抱えてしまう辛辣な意見ですね。先ほど例に入れていた「くだらない」とか「こんな自分なんて」みたいな、そういったやつです。

そうした辛辣な意見を書き出してみてほしいんですね。

そして、書き出した後にその言葉を眺めてみてください。一体、多分それは1行とか2行とかで収まらないとは思いますけども、それを出した言葉──出した言葉ってあなたが味わっている苦痛とか負の感情とかがいっぱい並ぶと思うんですね。

何でもいいですよ。例えば「旦那が寝転がってばっかりでムカつく」とか「妻が買い物を忘れてきた、ちょっとイラっとした」とか、そんなの何でもいいんですけども。

あなたが味わっている苦痛のどれか一つでも、今すぐ直ちに癒すことはできないか、そういうふうに考えてみたらいかがでしょうか。すぐに癒すですね。

自分で自分の書き出した感情をしっかりと見て、そしてその見た言葉に対して、それをすぐ自分の中ですぐに癒すことはできないか、それを考えてみていただければと思います。

ぜひ、そのワークをやってみて、もしやっていただいた後に何か感想等ありましたら、ぜひ教えていただければ嬉しく思います。


今日のストア哲学

自分を思いやる。私は自らに苦しみを与えるべきではない。なぜなら、他者にも一度として意図して苦しみを与えたことはないのだから。

── マルクス・アウレリウス『自省録』第8巻42

それでは、今日も過去を悔やまず、未来を憂えず、今の最善に全力を尽くしてまいりましょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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